映画「息もできない」 感想

最近、アニメや漫画にズブズブにハマってしまい(毎年春になるとものすごくアニメ漫画欲が高まるのは自分だけだろうか)、久しく映画を観ていなかった。最後に映画を観たのは「若おかみは小学生」の劇場版を2月ごろに友人とAmazonのウォッチパーティーで鑑賞した以来だった。

3月も終わり、観ていたアニメ(ウマ娘プリティダービー2期など)もちょうど終わり、心機一転久しぶりに映画を観たくなって近所のゲオに散歩帰りにフラッと寄った。

 

昨今ネットで殆どの映画がインターネットを介して観ることができるが、特定の明確な観たい映画が特になく、「とにかく何か気になるものが見たいなぁ」という気持ちを満たすためには、ゲオやツタヤをぶらつきつつジャケットや裏表紙のあらすじや惹句を見てお金を払って返却期限に迫られながら見るのが一番であると思う。

 

そういう形でゲオでふと目に飛び込んできた映画が「息もできない(原題:똥파리、英題Breathless)」だった。

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以前RHYMESTER宇多丸の「シネマハスラー」で取り上げられて絶賛されており、その存在は知っていた。兼ねてより観たいとは思っていたのだが中々観る機会がなかったからちょうどいいということでレンタルしてみた。

 

あらすじ

チンピラ稼業をやっている主人公キム・サンフンがひょんなことから女子高生のハン・ヨニと出会う。喧嘩から始まった関係ではあるが、お互い似た者同士であることを仄かに感じ合い、様々な事で傷つくたびに慰め、支え合う仲になるが………

 

 

まず、監督も務めているヤン・イクチュン扮する主人公のキム・サンフンだが、「syamu_game!?」ってくらい純粋な目をしている。まさに“こどもおじさん”だ。

 

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服装まで浜崎順平に似ているシーン

実際の役柄としても純粋で子供のまま歳をとったような人間性であり、その顔から惹かれた。

また、主人公のサンフンは終始「씨발(シバル)」、「씨발라마(シバラマ)」を多用していた。意味としては「Fuck」や「Fuck you」といった罵倒文句だ。

そのサンフンの言葉遣いや顔、終始一貫した小さくはビンタに始まり大きくは血みどろの殴り合いになる“暴力”。一見粗暴だがその根底に流れる優しさ。しかし、それを素直に表現できないささくれ立った心の表層と、伝えるだけの言葉を知らない無知さ。無知が故に生まれる罵倒文句を口にする事一つを取ってもその感情の幅の広さ。それを十全に表現しきる監督兼主演のヤン・イクチュンの素晴らしさ。

主人公1人取ってもこれだけでは褒め足りないくらい凄まじいものがあった。

 

また、サンフンとヨニの関係性も良い。

恋仲になることはないが、単なる友達より心の深いところで結びつきあっている。よく陳腐な表現として「友達以上、恋人未満」とは言われるがそれとも少し違う、言わば熟年夫婦のような関係だ。恋愛関係や肉体関係を軽んじるわけではないが、そのようなわかりやすい関係性に落とし込まずにしっかりとその複雑な付かず離れずの関係性を維持し、それを表現しきる2人。最高だった。2人でいるシーンの表情だけでも一見の価値あるポイントだ。

 

この映画を彩る俳優陣の顔が仕上がってるのもまたいい。チンピラの下っ端であるファンギュの間抜けな中にもどこかしたたかな部分が見え隠れする顔、ヨニの弟のヨンジェのキレる10代代表のような顔など。これらなくしてこの映画は成立しえない、といえるだけの説得力のある素晴らしい顔をしていた。

 

以下、内容に触れつつの感想のため、ネタバレ注意。

 

 

 

 

この映画通して、終始一貫した男から女への家庭内の暴力が描かれる。そして生まれる悲しい暴力の連鎖。主人公のサンフン然り、ヨニの弟のヨンジェ然り。

だが、サンフンの甥である幼いヒョンインだけがその負の連鎖を断ち切る心の強さと優しさを持っていた。

その優しさや強さに触れることでサンフンがよりヒョンインを愛しく、そして彼を守らねばという強い意志の芽生えを感じることで生じる感動があった。

また、腕っ節や口といった他人に見え易い部分で強い人間が実は脆くて弱く、またサンフンの幼かった妹や甥のヒョンインといった弱い人間がいざという時に見せる勇敢さや優しさ。それによって良くも悪くも周囲の意識や環境が変わっていく。それを目の当たりにすることで心を動かされる。

 

“普通”の両親が一切出てこない。出てくる家庭には何かしらの暴力があり、そのため食卓を囲む幸せな場面が殆どない。幸せな食事シーンは常に「家族以外の人間と」「外で」のシーンしかない。しかし、一ヶ所だけ家の中で食卓を囲むであろうシーンがあった。ヒョンインとヨニとサンフンとサンフンの姉のシーンだ。ところが意図的かわからないが、その食事シーンはなかった。ここはあえてカットしたのかな?

 

序盤の借金の取り立てをする場面でDV夫がいる家庭で「人を殴る野郎は自分は殴られないと思ってる。でも痛い目に遭う日が来る。そのサイテーの日が今日で殴るのもサイテーの奴だ」といいながら殴りつけるシーン。殴るお前が言うか?と思いつつもこれを身をもって知ってるのがサンフン自身であり、これがラスト付近の伏線にもなっているのがよかった。サンフンが痛い目に遭うまさにその日、その一発目が当たった瞬間から訪れるその先の不穏な空気を演出するいい伏線だと思った。

 

終始サンフンは純粋ではあるが素直ではない。素直になるシーンが大きく二か所。大きな声で笑うシーンと泣くシーン。どちらもヨニの前

父親や姉の前では中々素直になれない。

父親に対しては妹を殺し、そのせいで母親も死なせてしまった憎しみが先立ち、殺意や怒りが表には出てしまうが、服役して出所した父が姉やヒョンインと仲睦まじくゲームをしている様子や張り合いのない父親の弱り切った姿に対しての複雑な感情があるように思う。

この映画の中でも印象的なチャプターの一つである、父親が手首を切り自殺を図ったシーン。殺意に満ち満ちた状態で父親の家に押し入るサンフンが家のドアを開けた瞬間に酒瓶と猪口、そして父が倒れているその傍に死んだ筈のサンフンの母と妹とがなんとも言えない表情で佇んでいる。このワンシーンだけで父親が酒で潰れて寝てるのではなく確実に死に向かっていることがわかり、また出所後孫のヒョンインや娘と幸福な時間を過ごせているのに、やはり自ら手をかけてしまった娘やそのせいで死んだ妻への罪の意識というのは15年の服役では拭えず(社会的に罪の償いは済んでいるのに)一生付き纏っており、それに耐えられず自殺を図ったというのを簡潔に明確に表現することでより印象に強く残った。

サンフンの尽力の甲斐あって父親の自殺は未遂に終わったが、その父を背負って病院に行く間「どんなに死にたくても生きろ 今死んだら俺は…俺は… 生きやがれ 死ぬな」と叫ぶ姿は、父親が未だにその罪の意識に囚われていることに気づかなかった己の浅はかさを悔やむと同時に、憎しみの対象であるが父親を亡ってしまうとサンフンの目に物言わせてやるという生きる糧がなくなりどう生きていけばいいのかわからなくなる不安、そしてヒョンインにとっては前科者とはいえ掛け替えの無いたった1人の優しい祖父であるという事実、これらの複雑な感情が入り乱れた魂の叫びであったように思う。

 

ラストの時系列をあえて崩し、サンフンの死亡をみんなが知り悲しむシーンを、残された人たちで楽しく過ごすシーンに挟むことで、落とし所になりがちなサンフンの死を落とし所にせず、ラストの衝撃的な展開をより一層印象的なものにしているのが素晴らしかった。

その、ラストの衝撃的な展開だが、途中の示唆も考えるとサンフンが実際にヨニの母親の屋台の撤去に携わったと取るのが自然だが、兄の姿がサンフンとかぶって見えただけという捉え方もできなくはない。そう捉えるとまたオチの意味が変わってくるような気もする。

また、その最後のヨニの表情がなんとも言えない。サンフンからヨンジェに継がれてしまった暴力の連鎖を目の当たりにし、サンフンと同じような悲劇の運命に今から陥っていくであろう弟を悲しみつつ、また母親の仇の姿と重なり憎しみに駆られつつ、そのような道に弟が堕ちていく姿に無力感を抱きつつ、そしてサンフンとの悲劇的な数奇な運命の下にあったという衝撃の事実を思い出したその正に「息もできな」くなるような、そんな様々な感情が入り混じった顔に強く胸を打たれた。

 

これだけ書いてもまだ書き足りないと思わせるくらい素晴らしい映画だった。久々のいい映画体験ができた。韓国映画は「オールドボーイ」や「パラサイト」くらいしかまだ見たことがないから今後どんどん開拓していきたい。

 

 

 

 

宇多丸のラジオの評とこちらの対談の書き起こしを鑑賞後に参照したため、一部影響を受けたところもあるかな?

書き起こし(1):『息もできない』ヤン・イクチュン監督×ライムスター宇多丸 緊急スペシャル対談: ラジオ批評ブログ――僕のラジオに手を出すな!