落下の解剖学 感想

落下の解剖学

真夏の方程式の少年を思い出した。

客観的判断を取れないものに対して、2択を迫られた時に、多くの証拠を集め自らの内で咀嚼し(ここには主観が含まれてしまうが、客観には依ることができないため主観は含まれうる一方で、最終的判断以外における主観をなるだけ排除する)自らの心を決める
決断を下す際の心持ちというのは裁判だけでなく、日々の中にも訪れる。

テープの件、母親をモンスターと父親に言っていた件、母親の在り方、存在感性格等を鑑みるに、真に無罪と言えるのかどうか非常に怪しく感じてしまう。
平たく言えばロジハラ、モラハラのようなものであるが、そういったものよりもより遥かに深部まで人の心につけ込むかのような言動、意識的か無意識的かはわからないが、他人を自分有利にコントロールするためのうまい態度の表し方をしているように見えてならない。
表面的には真実的ではあるものの内部に自らの作為をTPOに応じて巧妙に織り込んでいくことで相手からの効果的な反論を抑えつつ自らの論を有利に進め、それに応じたパッションの表出を行うことで黙らせながらコントロール下に置こうとする素振りに恐怖してしまう。(これをしっかりと演じ切るサンドラ・ヒュラーの演技力に圧倒された)

後視的に、結論に寄り添ってみると、父母の不仲の影や、父親の死の匂いを敏感に感じ取った息子が無意識下にこれらを抑圧し意識上に浮上しないように/無視していたとも捉えられる。
一方で、先に述べた浮動的事象に対する決断のプロセスの中で彼自身が本質的に母親を求めた結果の選択なのかもしれない。

本作の中で判決というものは出るが、事実としてどうであったかということに関しては一切語られない。
実際はどうであったか、ということは本作においては重要な問題ではないように思う。検察側、弁護側五分五分の状態であったところに息子である彼が最後に下した結論によって彼自身の世界が大きく変わる、彼の成長譚であると同時に、決断そのものに対する重要性を説くもののように感じる。

あと、なによりメッシ君がかわいいね。