蓄積

週に一回は更新していた気持ちではいたが、途中で書くのをやめてしまったものが溜まりに溜まって早一ヶ月以上経ってしまった。私の具合も随分とよくなり、日課の散歩も雨の日以外は欠かさず行い、読書をし、少しずつお勉強もし、ゲームをする生活を送っている。最近の悩みを強いて挙げるとするならば、梅雨に入り散歩ができる日が少なくなっていくことでどんどん怠けが加速してしまうのではないか、と言うことだ。散歩の代わりになるものを探していきたい。

 

それはそうとして、色々と下書きのページに途中まで書いた文章がたくさんあるのもあまりいい気持ちがしない。早く書け、早く書けと急かしてくるような気持ちになるから此処に箇条書きにして供養していこうと思う。

 

・拗れ

 人は誰しも拗らせた部分を持っているが、社会との接点を持つことでその拗らせたものをどうにか一般大衆の感覚に擦り合わせていく。ところが一般大衆と大いにかけ離れるくらい拗らせてしまうと中々擦り合わせがうまくいかない。私の恋愛観も拗らせているように思う。学生時代、特に中高時代の恋愛は卒業とともにそのほとんどが終わってしまう。終わるとわかっていてなぜ恋愛したがるのかが全くもって理解できなかった。

あと、これは自分だけなのか気になるのだが、何かの事象に対する感情が一瞬頭に出てくるけど口に出す前に一度頭の中で反芻してしまうことで、その湧き上がった感情と自分の過去の言動の比較をしてしまい矛盾が生じてしまうようであるなら口に出すのを憚ってしまうのだ。多かれ少なかれ皆やっていることだとは思うのだが、過度に憚ってしまう。自分自身は覚えていないのだが過去に感情のまま素直に発言して物凄く怒られたり貶されたりしたことがあるのだろうか。そうでもしないと此処までならないと思う。我ながら不思議である。

 

押韻

 ここ1〜2年くらい韻を踏むことに凄くハマっている。韻のメカニズムについて書いていたが検索したら出てきそうだし此処であえて書く必要もないだろう。ちなみに今日思いついたのは「良妻賢母から産まれた不良債権の子」という韻を踏んだラインだ。意味も通っていてかつ固い韻なので思いついた瞬間に好きになった。あと、「牛タン  ホルモン」と「一週間頑張ろう」で甘く踏めていることに昨日気づいてなんだか嬉しくなった。

 

・謎掛け 

 四月末頃からちょこちょこ謎掛けを考えることにハマっている。韻を踏むことの延長線上にあるからふと思いつくとこれまた気持ちよくなる。「レイプ物の処女喪失」と掛けて「SNSの炎上」と解く、その心は「どちらも太くて痛そう(不特定多数)に広がる」でしょう。この下ネタ謎掛けを思いついたのがきっかけだ。そこそこの出来だが今までで一番自信がある謎掛けは、「スマホ持ちたての中学生」と掛けて「選挙前の政治家」と解く、その心は「荒野行動しようか悩む(公約をどうしようか悩む)」でしょう。というものだ。いいネタを思いついたら随時ご紹介できたら、と思う。

 

・女尊男卑

 最近よく見るツイッター上の自称フェミニストさん方を見ていて「女性を尊重すべきだ」と必要以上に声高に叫んでいる割には一番自分たちが女性を蔑んでいることに気付いてないのかなぁ、と思った。

結果の平等ばかり拘って見かけ上の平等ばかり求めているが、結果の平等ばかり追うより機会の平等を追求すべきだと思う。

一定のコミュニティが何か陽の目を浴びてしまったことで本来はそこに入るべきではない層が取り込まれてしまってどんどんそのコミュニティが悪化することはよくある。ヴィーガンにしろ、なんかのアニメとかアイドルのクラスタにしろこういう形でのコミュニティの悪化はよくある。歴史は繰り返す。

一部の支離滅裂な過激な意見ばかり目立ってしまうのは致し方ないが、真剣に向き合っている人の意見にも目を向けていけたら、と思う。

(もともと結構煽り口調で小馬鹿にしたようなものだったから結構オブラートに包みに包んだ)

 

・現代の宗教

宗教の意義はその時々のパラダイムに依存すると思う。その時代では分かり得ないその枠組みの外部へのなんらかの意味づけが宗教であり物語だと思う。現代では未知の部分は多いものの人間が知覚しうるものの殆どに科学的な裏付けがあり、知りたくても知り得ないものは死や死後の正体以外ほとんどない。だから現代の宗教は死や死後の意味づけだけで良いと思う。

カルトの大半が知識、知覚の枠組みの内部に深く干渉してその人々の了見を著しく狭めてくる。「視野が狭いと幸せみたい(韻を踏んでます!)」とは言うが、その多幸感の裏で色々なものを捨てていることに気付けるのだろうか。本人がとても幸せになれるのであれば一概に悪いことと断言することは難しいが、周囲に迷惑をかけることだけはやめて欲しい。

平成不況の時に新興宗教が結構増えたとは聞くが、今現在の閉塞感漂うこの社会で増えているのはビジネスセミナーを称した情報商材詐欺だろう。以前に比べはるかにSNS等を通じて情報が巡り、日本も以前より国際化が進みベンチャー企業が増えてきているこのご時世、うまい儲け話で人を煽り、よくできたピラミッド構造で、常に目の前に成功をチラつかせることで死の意味ではなく刹那的に生きる意味を与え続けるこれこそが現代に即したカルト新興宗教のあり方なのかもしれない。

 

以上の5個のトピックが書きためていたものだ。

アマゾンのプライムビデオで「ボビーフィッシャーを探して」と「キャストアウェイ」と「イヴの時間」と「ネオンデーモン」と、、と列挙したらキリがないくらいこの一ヶ月で映画を観ている。暇すぎる。感想かけたら書きたいな。

何かオススメの本や映画があれば教えてほしい。

ちなみに最近ハマっている日本語ラップは「舐達麻」というグループだ。是非聞いてほしい。

映画クソレビュー 「マイノリティ・リポート」

最近暇な時間が多く、よく映画を観るので折角だから映画の感想を書き記していきたい。クソ映画レビューではなく、映画のクソレビューだ。私の拙文がクソなレビューなので決してその映画をクソだと言いたい訳ではない、ということを了承いただきたい。

 

先日、アマゾンのプライムビデオで「マイノリティ・リポート」という映画を観た。主演はトム・クルーズで監督はスピルバーグだ。ビッグネームのタッグともなれば名作であることは間違いないだろう、とウッキウキでレビューもネタバレも何もせずに見始めた。思いっきりネタバレを含むためその映画を観たい、という人はこれを読むことをおススメしない。

 

あらすじとしては、近未来の世界で犯罪を事前に察知することができるようになった世界で、犯罪を未然に防いでいる組織の最前線にいるトムクルーズ扮する警官が、身に覚えのないことで犯罪をすることを予見されて逃げながら真相をつきとめる、といった感じだ。

 

近未来のテクノロジー溢れる夢いっぱいの世界観で、よくあるタイプの犯罪未然に防ぐ系のシステムの粗が出てきてそれに主人公が巻き込まれる話だ。アニメだと「PSYCHO-PASS」が同じような話として記憶に新しい。(PSYCHO-PASSの1期のほうがこの映画の何倍も面白かった。2期については、、、何もいうまい。)

 

大まかな設定はとても良かった。犯罪を予見するシステムの近未来感。犯罪予備軍の人間の名前が木製の球に印字されて出てくるところとか、ガラスに映像を映して、その映像を手でガラスを触るだけで操作できるところ。“近”未来。近々というか現在の技術力で十分可能だが溢れ出る“近”未来感。それ以上褒めるところがないからそこだけでも褒めさせてほしい。

 

褒められる部分は全て褒めたのであとは扱き下ろすだけだ。

大きく4点ある。

1点目、無駄に近未来感出すためにマジで無駄な科学グッズみたいなのがたくさん出てくる。トムクルーズの逃走シーンに多くそのようなグッズが出てくるが本当に必要か?と思いたくなる。極め付けが“嘔吐棒”だ。字幕で嘔吐棒と出てきたときは「嘔吐棒?なんじゃそりゃ。誤訳か?」と思ったが、警棒のようなもので人を殴ると殴られた人が嘔吐する、というギャグセンスの塊みたいなグッズだった。割とシリアスにそういうのが出てきて笑っていいのかいけないのかわからなかった。シンジ君なら「笑えばいいと思うよ」と優しく教えてくれるのかな。

あと、途中で犯罪予見マシーンの理論作ったババアの家に逃げ込むんですけど、その家の周りをハリーポッターに出てきそうな触手みたいなツタで守っている設定で、近未来科学を出したいのかホグワーツ感出したいのか分からなかった。どっちかにしろや。無駄にもほどがある。

 

2点目、物語の序盤〜終盤の少し前まで主人公のトムクルーズの天敵的なポジションにいたやつが急に事件の真相に気づいて黒幕にあっけなく殺される。こういうタイプの話ではよくある展開ではあるが、その後でほとんどその話に触れられない。マジの無駄死に、犬死にである。ただのかませ犬で終わったのだった。長い物語の中でのどうでもいいポジションのやつが犬死してもアクセント程度で終わるが、映画という割と短めの時間の中でライバルポジを呆気なく殺すと物語全体がスポンジみたいにスッカスカになってしまう。なんでや。もっと掘り下げられたやろ。

 

3点目、主人公のトムクルーズ扮する警官だが、息子を誘拐されて行方不明になっている。その息子のあれこれを黒幕にダシに使われたのだが、肝心の息子の行方もその息子を誘拐した犯人も明らかにならないまま終わる。黒幕の正体よりもそっちメインでしょうよ。そっちを解決させないまま黒幕わかって追い詰めて黒幕自殺して終わり、って釈然としなさすぎてビビり散らしてしまった。もっと黒幕追い詰めるまでにその事件絡められただろ。死んだ息子が浮かばれねぇよ。マジで。

 

4点目、この物語の中枢にある犯罪予見マシーンの中身なのだが、実は超能力もった人間でした、というものだ。3人の超能力人間のうち3人が見た未来のイメージから多数決を取って多数派のイメージを投影する、というシステムだ。エヴァのMAGIシステムの方がマシじゃん。1個でも否決されたらもう一回審議しろや。しかもこの超能力人間3人のうち、2人が双子なのだ。そりゃ偏るわ。まぁでもこれが黒幕が使ったシステムの穴だからこれにあれこれ言うのは野暮なことなのかもしれないが、、。

 

個人的な総評として、なにも考えずに観ると微妙に置いていかれるし、かといってしっかり観ると粗ばかり目立つ。無駄な要素が多いのに必要な部分が欠けている。ニンニクヤサイアブラマシマシの麺なし二郎。アンパンマン見たほうがしっかりとカタルシスを得られる。キャストと監督のネームバリューに踊らされてはいけない、物語の構成や内容こそが映画の根幹なんだ、と教えてくれるいい映画なのかもしれない。是非ともクソみたいな漫画の実写化する邦画の監督に見ていただきたい。

 

暇な時間が割とあるのでオススメの映画があればコメントなりなんなりで教えていただきたいです。

今朝、久しぶりにクレヨンしんちゃんのオトナ帝国を見て大号泣してしまったので次回はオトナ帝国レビューでもしようかな。

 

 

適当

文章をまとめるのが面倒になったのでプロット的な感じで思ったことだけを羅列する感じにしました。今日は天気が悪く、そのせいか朝から調子が悪かったのでこんな感じです。

 

お金さえあれば鬱は治る、とよく言われるが半分は正しく、半分は間違っていると感じる今日この頃である。

 

そもそも鬱になるまでのメカニズムとして自分が鬱になりかけた過程から感じたものだが、3つのゲージみたいなものがある。

1つ目のゲージは気力ゲージ

2つ目は責任感のゲージ

3つ目は気力の貯金

 

気力ゲージは大体一日で回復する。責任感は人それぞれだがだいぶこれがあれば無理してできる。

気力ゲージがなくなるとだいたい貯金を切り崩すか責任感のゲージをけずることで耐えられる。

 

だが、貯金がなくなり気力ゲージもなくなると責任感だけになる。正直ここがしんどい。この辺りから気力のゲージが一日で全快しなくなる。だから他人に迷惑をかけるであろうこと以外ほぼほぼ何もできなくなる。この状態は薄氷の上を歩いているような感じでふとした拍子に壊れてしまう。

よく鬱は甘え、と言われるがこの状態で頑張り続けていた人が、健康な人から見たらしょうもないようなことで急に病み始めることからこう言われるのではないだろうか。

 

上記の状態からふとした拍子で壊れてしまったら何もできなくなる。自分はこの状態になってすぐにあらゆることを断って休養することにした。そのためか回復が比較的早く、向精神薬等の服用をせずに済んだのだろう。

この壊れた状態からさらに向こう側まで行くと「鬱病」になる気がした。

 

鬱病に罹って自死を選ぶ人が多いが、それは環境の問題が大きい気がする。

仕事などのなんらかの責任感が伴うこと全てから解放されて、一日三食しっかりと食べ、軽い運動を続けることができる環境があるならば、薬の力を多少は借りつつも寛解できると思う。

ただ、そのような環境を皆が得られるわけではない。両親が退職後年金暮らし、自分は一人暮らしで職場の環境が直接的な引き金となって鬱病になってしまった場合、仕事をやめざるをえないが貯金もすぐに底をつく。かといって他の仕事を始めても100%の力が出せるわけでもなく、だらだらと薬を服用して延命措置のような状態でだましだましの生活が続くだけだ。このままの状態だと良くなるはずもなく自死を選んでも致し方ない気がしてならない。

 

思うに、心療内科や精神科にかかること自体が恥ずかしいイメージがある。また、ほかの風邪などの病気は何度もかかるため体感として病院にいくべきか否かがわかるのに対して、精神的な病は人生の中でそう罹るものでもなく、なかなかわかりにくい。

ちょっと熱出てキツイから内科に行きました、というのと同じように、ちょっと精神的にキツイので心療内科や精神科にかかります、というのにも寛容な社会になればより楽に行きていけるのではないだろうか。

あと、リアルで息のかからないすこし離れた交友関係、例えばネット上の友達や中高などの同期で今の自分とは離れたところにいる友人などに嫌なことを話すだけでもだいぶ楽になる。そのような関係を大事にしたい。

親も含めリアルで息のかかる関係性は相談してしまうと広まったり関係が悪化したりするかもしれない、と思うので自分は怖くてできない。

 

難しいですね。今日はキツイので寝ます。

備忘録

ここ一ヶ月ほどこのブログの更新を怠っていた。突き詰めていけばただの怠慢なのだが、いくつかの言い訳を許してほしい。

 

1つ目の言い訳としては備忘録のようなノートを作ったことだ。日記などのような高尚なものとは違い、文字通りの自由帳でふと思いついた言葉や何かに対しての感想などの殴り書き、ふと見つけた問題(最近はAKITOの特異点というYouTubeのチャンネルの動画の問題が専らだが)を解く計算用紙の代わりなどごちゃごちゃしたノートだ。それを作ってからというもののこのブログになにか書くまでもなくなんとなく考えが纏まって落ち着くことが多くなってきた。とはいうもののやはりしっかりした他人に読んでもらうための文章を定期的に書かなくてはバカになりそうな気がして、事あるごとに更新しようと思っていたのだがノートに殴り書きして満足してわざわざ文章化するのが億劫になっていた。ただの怠慢である。

 

2つ目の言い訳をさせてもらえるなら、最近調子が良い、ということだ。先月までは徐々に、、といった感じであった回復の速度もここ数週間で指数関数的に飛躍的に良くなった。朝も7時半に起き、家事も積極的にこなし、午前中と夕方の2度、それぞれ1時間程度一人で散歩できるようになった。さほど他人の目も気にしなくなった。またつい先日まで家族とコンビニの店員以外と口を利いていなかったが、先週の金曜に実に2ヶ月ぶりに友人と通話をしながらゲームをした。特に自分は必要以上に気を使うこともなく自然に話すことができてとても嬉しかった。そんなこんなで日々充実してきたので書く時間が以前に比べて減った。だが、毎日無駄にボーッとする時間が多いのでそういう時間をブログ更新に充てればいいだけの話なので詰まる所ただの怠慢である。

 

以上2点の言い訳をさせてもらったが、以前に比べて色々と興味を持てることが増えている証拠であり、先月や先々月のような朝も昼も夜もずっと壁に寄りかかって座り込むような状態ではなくなりちゃんと健康な状態に近づいているため非常に喜ばしいことだ。

全く関係ないが、毎週月曜から木曜までの0時53分から58分までの5分間に「浜辺美波の真夜中のシンデレラ」というラジオ番組があっている。毎朝起きて前日の夜に放送されたその番組を聴きながら掃除機をかけるだけで一日頑張れる気がする。浜辺美波に感謝、、、、。浜辺美波好きです。たったの5分だが浜辺美波の魅力がギッシリと詰まっているため是非聞いてほしい。

 

ひさびさに少し長めの纏まった文章を書いたため拙文となってしまった。申し訳ない。ちょこちょここまめに更新していきたい。

鬼というラッパーの曲を最近ずっと聞いている。とはいうもののアルバム2つを何度かリピートしたにしかすぎず、全曲聴いたわけではないため偉そうに語るべきではない、と重々承知しているのだが、前回ブログを更新して以降何度も色々な内容を書こうとしては途中でやめ、を繰り返して1000文字ほどの文章が3つほど下書きに溜まってきた。これも下書きの一つになるのやもしれないが好きなものについて書くと多少は筆が進むのでこのまま書き進めていきたい。

 

さて、本題の鬼というラッパーについてだが、その生い立ちは過酷そのものだ。元々HIPHOPの文化自体ゲットー、下町の文化でありワルの音楽である。彼もその例に漏れず、母子家庭で寂しく貧困な幼少期を過ごし、非行に走り逮捕歴もある。彼のその半生について描かれている自伝的な一曲、「小名浜」を聴いて欲しい。

小名浜のリリックで一番好きな部分はここだ。

“中学卒業も更生院  数年後には準構成員  旅打ちはまるで小名浜のカモメ  行ったり来たりが歩幅なのかもね  挫けた背中洗うソープ嬢  泡と流す殺気立つ毒を  小名浜港は油で濁す  必要悪があくまで美徳”

中学卒業から20代前半ほどまでの生活をこの8小節のリリックに簡潔に刻み込んである。更生院と準構成員、小名浜のカモメと歩幅なのかもね、ソープ嬢と毒を、濁すと美徳。2小節毎の語尾で韻をしっかりと踏むことで聞き心地もよくなっている。

その後にも彼の周りの人との関係や東京でラップを歌う決意をリリカルにかつ韻を踏みながらうたいあげている。彼の代表曲だ。ぜひ聴いてもらいたい。

 

他には“獄窓”というアルバムがあるが、彼が獄中で実際に書いたリリックを歌っている。その中の「精神病質」(質は室の誤字ではない)も好きだが、そのアルバムで一番好きなのは「いきがり」という曲だ。冒頭にも述べたように鬼の曲を全部聞いたわけではないが、聞いた中では一番曲調や韻の踏み方がポップスのラップの曲、ケツメイシの曲をも思わせるようなものになっている。勿論リリックの中身はポップスのそれとは全く違う、サグな内容になっている。

曲の冒頭は“悲しみや怒りな忘れ踊れ  夢もなく生きるならせめて笑え”という言葉をしっとりと歌い上げると音が急に足されて明るくなる。ところどころ混ざる東北の訛りがまたいい味を出している。

二番の頭の“欲張ればいいんじゃねぇ  気にしいさんだ  1,2,3ダァー  この道なんだ  一番じゃ物足りんノータリン  any time any place  GOサインの方がいい”の部分、ユーモアと訛り、小刻みなライミングで口に出してとても気持ちいいい。曲を通して一貫した底抜けの明るさの中にも、自分にはラップしかないという一種の諦めや決意を感じる。

 

また、“嗚咽”というアルバム内の曲である「月に願いを…」という曲はFly me to the moonのサンプリングビートに乗せてところどころで原曲のFly me~の歌詞を引用している。

もともとHIPHOPは既存の曲の前奏や間奏部分を切り取ってそこの部分にラップを乗せて歌ったり踊ったりといったものが由来である(既存の曲の前奏や間奏を切り取ったものをブレイクビーツと呼ぶためB-BOY,B-GIRLと呼ばれる)。そのため、ラップの曲は結構既存の曲のメロディーを改変して使っているものが多い。私は折角だからそこそこ流行ったJ-POPの曲のメロディーに合わせてその曲の中身に合ったラップをする曲も結構あっていいと思う。実際に山下達郎の「クリスマス・イブ」に合わせてKICK THE CAN CREWが「クリスマス・イブRap」という曲を歌ったが中々良い出来だ。3人のメンバーが一人一人違う恋人のいないクリスマスの様をラップしている。多少薄れてきてはいるが、ラッパーやラップというと「チェケラッチョ」や「YO」といったものを誇張して表現して馬鹿にするきらいがある。J-POPのサンプリングは権利の関係上難しいのは分かるが、そういう日本に馴染む形で広くラップが聞かれて市民権を得て欲しいと思う。

 

また、纏まりのない文章をたらたらと書いたが、碌に下書きもせず自分自身あまり読み直す気がないのと推敲する気力がないので致し方ない。謙遜でもなんでもなく拙文そのもので申し訳ないがこれでこの回は締めたいと思う。今後も気が向いたら好きなラッパーなどを紹介していきたいと思う。

嗜好

ここしばらく、学校に赴かねばならない事情やそれに伴う外出で大変体力気力を消耗し、実家に帰ってからも中々に疲れが取れない日々を過ごしていたためか何も書く気力が起きなかった。というのも言い訳にしか過ぎず、好きなものを文字に起こして書く、というものは往々にして難しいことだ。その物事が好きであればあるほど、その魅力を十二分に伝えきれるかどうか不安になり筆が遅々として進まない。それを言い訳にして良い訳もないので頑張って書き進めていきたいと思う。

 

好きなものというのはその時々で変わるものだが、ここ2、3年は日本語ラップをよく聞いている。

好きになった切っ掛けは恥ずかしながらフリースタイルダンジョンという番組でのラッパー同士の即興のラップバトルに魅せられて、、といった最近のにわかヘッズ(HIPHOPではファンのことをヘッズと呼ぶ)代表のような入りである。最初の頃は毎週のフリースタイルダンジョンを楽しみにしながら、Youtubeで様々なフリースタイルラップバトルの動画を漁り、気になるラッパーを見つけたり、バトルに使われるビートの曲を聞いたり、といった形で楽曲を“DIG”っていた。

 

だが最近は以前ほどはバトルの動画を見なくなった。というのもここ一年くらいのフリースタイルバトルブームでバトルイベントの質より量感が否めない。どんどん面白みが薄れてきた気がする。

そもそも、MCバトルというのは喧嘩っ早い不良同士が拳と拳ではなくマイクとマイクをぶつけることで血を流さずに決着をつける、謂わばお洒落な口喧嘩である。(フリースタイルダンジョンでの晋平太VS漢a.k.a GAMIの試合はその真骨頂といえるくらいお互いに因縁のある対決で、バチバチのバトルをしながらもしっかりと意味の通る韻を踏みながらの対話をし、最後には歴史的ともいえる和解をした。)だからラッパー同士の対話がなくして面白みもクソもない。

ここ一年くらいでバトルのシーンもどんどん規模が大きくなり、様々なバトルがYoutubeにアップロードされ、若手のバトルMCがたくさん増えた。ほとんどのMCがラップがうまく上手に韻を踏むが、ビートには最近のUSの流行であるトラップビートがよく使われるし、MCもトラップの“ei ei” “skrr skrr”といった言葉を挟みお洒落なフロウでラップをするのが多くなっている。確かにとてもお洒落なラップが増え、聞き心地だけでは良いものが増えたが良質なバトルが他の雑多な下らないDISの掛け合いに埋もれてしまいがちで凄く悲しい。NORIKIYOのSome shitという曲の一節を引用するなら

“Skrrr Skrrr とかノリだけ中身がスカスカ TrapとかRapとか? そいつはいいが イケてるモンをもっと聴かせて欲しいな”といったところだ。まぁ同じような相手と何回もバトルをしていたら言うことも無くなってしまうのは致し方ない気もしてならない。

とは言うものの大きな大会(UMB、KOK、戦極、SPOTLIGHT)はやはり面白い。毎年UMBはドラマがあるし、戦極18章では漢a.k.a GAMIが皆の期待をいい意味で裏切りその日の主人公になった。今年度のSPOTLIGHT決勝からKOKにかけてのRAWAXXX a.k.a MOL53と呂布カルマのやりとりはやはりリアルタイムで追いかけながら見ていてワクワクした。

 

最近のバトル事情について書いてしまったが、書きたかった要点はそこではなく最近のDIGり方についてである。昨年からCreepynutsのオールナイトニッポン0が始まった。CreepynutsというのはR–指定という日本一に3回も輝いた最強のフリースタイルラッパーとHIPHOP界では珍しく三十路手前にも関わらず未だに童貞で完全に拗らせているDJ松永のユニットで、私は日本語ラップ聴き始めた頃から彼らがすごく好きだったのでラジオも毎週欠かさず聞いている。そこのコーナーで毎週R指定がおススメのラッパーとそのラッパーのおススメ曲を紹介するコーナーがある。R指定の知識量と語りの上手さに完全に飲まれてそこで紹介された曲を聞いてはそのラッパーの曲を聴き漁っている。お陰様でバトルシーンには中々出てこないラッパーを沢山知ることができた。

 

中でも最近のマイブームは小林勝行だ。

1stアルバム「神戸薔薇尻」、2ndアルバム「かっつん」どれをとってもハズレがない。YoutubeにもいくつかPVが上がっているが「from 隔離室」、「寛解の連続」などこれまたどれもハズレがない。

彼の一番有名な楽曲は「蓮の花」(DJ NAPEYのFirst Callというアルバムに収録されている)だ。

“身に覚えのある裏切りは 浮気した結果 クラミジア”というなかなかパンチの効いた文言から始まるこの曲だが、二番の序盤“オカン返さなな札の束 手のひらさすっとかな泣くのまた 「18」なるん待つ土方 悔恨ようけあるよまだまだ”のラインなどしっかりと韻を踏みつつも情景がしっかりと思い浮かぶ歌詞、そして彼の実際の経験に裏打ちされた汚さの中にある綺麗なものをしっかりと描き切った素晴らしい作品だと思う。彼自身の経験や心情をもとに書かれたリリックは彼の口から歌われることで一層深みを増す。決して学があるわけでもなく、綺麗な言葉でもない。その“汚い”言葉から人のリアルな綺麗とも汚いとも言えない心情を描く才能、彼の右に出る者はいないと思う。

小林勝行は蓮の花を出してしばらく音楽に真剣に向かい合いすぎて鬱を発症した。神門というラッパーのそんな小林勝行に対するアンサーソングである「泥中花」もおススメだ。ぜひ聴いてほしい。

 

神門から話を広げて不可思議/wonderboyや狐火、MOROHAといったラップの中でもポエトリーリーディングと呼ばれる部類のものの話や、Tajyusaimu Boyzや赤ちゃん婆ちゃんという68歳のお婆ちゃんとその15歳の孫のユニットも紹介したかったが長くなりすぎてしまうことと、気力の限界からここで終わろうと思う。今度紹介できたら紹介したい。

経過

ここ2、3日で大分体調は回復してきた。先日一度だけ睡眠導入剤を飲んで以来、夜中に目が醒める回数も格段に減り、日中快適に過ごすことができるようになってきた(未だに寝つきの悪さと夜の謎の焦燥感は拭えないが)。今現在、破滅願望や希死念慮といったものはほぼほぼなくなり、以前のように思い詰めることはなくなったが、唯一の悩みは既知の人間とどう関わっていいかわからないことだ。

昨日、夜ではあるが外に出て少し散歩をしたが異様に他人の目を気にしてしまい、知り合いに会ってしまうのではないか、という恐怖で足がすくんで明るい表の道を歩くことができなかった。マスクとメガネに黒いコートと紺のマフラー、加えて挙動不審ともなれば誰が見ても不審者そのもので、暗い夜の裏路地で私とすれ違ったら怖い思いを他人に与えてしまう、と思うと大変申し訳ない。少しづつではあるがこの一年かけて改善していきたい。

 

夜の徘徊、といえば昨年の4、5月頃を思い出すが、あの頃はひたすら死に場所を求めていたような気がする。自死する覚悟も何もなく、家で一週間近く引きこもっていたかと思えば、破滅衝動に駆り立てられ深夜によく危険だと言われるような埠頭や廃墟のようなところなどへと缶チューハイ片手に歩いて行った。酔って潰れてここで寝て死なないか、とか、ここで刺されて死なないか、とか色々あの頃は考えていた。

 

今年の年明けしばらく経った位から精神状態がさらに悪化した。今思えば明らかに異常な行動だが、やけに過去の楽しかった思い出を回想しては泣いていた。実家に帰ったときには小中高の卒業アルバムを見ては泣いたし、1人暮らしに戻っても高校の時の校歌を聴いては泣き、当時の学校のサイトの学年だよりのようなものを見ては泣いていた。そして、将来を考えては何も幸せになれないと思い泣いていた。全て素面の状態であった。

2月に入ってから本格的に調子を乱し、夜明らかに眠れなくなり、YouTubeでヒーリング音楽をかけて寝ようとするも全然眠れず朝を迎えて、昼間に少し寝るが夜には眠れず、かといって何もできずにベッドの上から動けない日々を送り何かにつけて泣き笑いの感情の上下が激しかった。

その結果先日体調を壊し、母が心配して駆けつけてくれ、大泣きしてそのまま実家に連行された。

 

精神的に異常なときには異様なまでに過去にすがり、未来を悲観する。現実をなかなかに直視できない。普段何もないとき、というのは現実を直視している実感が全くと言っていいほどないが、一度でも異常な状態に陥ると本当に何も見えなくなる。コードギアス反逆のルルーシュというアニメにリフレインという過去の楽しかった思い出に浸ることが出来る麻薬の回があったが、まさに異常時の自分そのものの姿であった。過去に浸っては現実を見ずそこで不安を取り除こうとする。甘い過去は麻薬なのだ。

 

連行されて数日間は塞ぎ込んで何かあるとすぐに泣いてしまい、完全に心も壊れていたが、母の助力により多少の思考力を取り戻すまで至ったときにふと以前見たリタリンオーバードーズのドキュメンタリーを思い出した。そのドキュメンタリーはオーバードーズするその患者に寄り添うような形で作られていたが、なんとも言えない不快感を初見時の私に与えた。その不快感を見た当時明らかにすることはなかったが、ふとそのドキュメンタリーを思い出したときに何が私に不快感を与えたか考えることにした。

そして一つの結論のようなものに至った。結局、他人も医者も幾分かは不安や悩みを軽くしてくれはするが、最終的には自分の考えや今迄の生き方そのものを幾分か改めない限りその不安、悩みは一生つきまとうのだ、と思った。そのドキュメンタリーを見たときに感じた不快感というのは、オーバードーズしている患者がその病気の治療のために薬や恋人に依存し、それだけが回復への手段だと信じてやまない他力本願な姿に対してであった。

その考えに取り憑かれて以降、自分の短いとはいえ生きてきた人生を思い返し、何が原因だったのか、今はどうであるか、それはどうすれば解消するのか、それだけに思いを巡らせた。それ以降の回復は早く冒頭に書いたように、暫くは眠れなかったり睡眠が浅くなったりしたが、ここ数日は至って健康だ。

 

精神的にはもうだいぶ回復したが対人関係にはまだ不安が残る。知り合いの人間すべてとまた始めましてからやり直したいが現実はそうはいかない。ゆっくりと時間をかけられる今とそれを許してくれる親に感謝してじっくりと身体を休めたい。