映画「ふがいない僕は空を見た」 感想
週一で必ず映画を観てなにかの感想を書くように努めている。(早速先週見た「いまを生きる」の感想を下書きに溜めているが)
今回見た映画は「ふがいない僕は空を見た」だ。
前々から見よう見ようと思いAmazonPrimeVideoのウォッチリストに入れていたのだが、埋もれに埋もれてすっかり忘れ去ろうとしてたが、つい先日「見放題が終了する映画」の欄をふと見るとこの作品が入っていて焦って見ることにした。(自分の生き方そのもので、期限が迫らないとどうしても何もできない。ほんとバカ。)
24日までみたいなので見てない人は是非。
映画開始早々、キツい妄想全開の台本ありきのコスプレセックスから始まり、クソデカいモザイクがドーン。流石に?と思いつつ、後30分つまらなかったらやめようかな、と思いつつタイトルカットが入り、なんなんだこの映画、、、と思いながら観始めた。
この映画はわかりやすく5部からなるチャプターで構成されていた。
チャプター毎に粗筋と感想を書いていきたいと思う。
第1部:主人公である「サイトウタクミ」視点のこの物語の「起」の部分
タクミが既婚者であるサトミ(HN:あんず)と同人誌即売会で出会い、2人が肉体関係を持つことになり、一度はタクミから別れを切り出すも、ふらふらとまたサトミのところに戻り初めてコスプレではない裸と裸の、“あんず”と“ムラマサ”ではなく“サトミ”と“タクミ”としてのセックスをするところで終わる。
後の話の流れを汲むとこのチャプターの意味合いであったり、良さであったりがしっかり浮き上がってくるのだが、頭からこのパート終わりまでの初見の率直な感想は一言で言えば「しょーもな」だった。
ナヨナヨして消極的な高校生のバカオスが明らかなオタク地雷人妻に気に入られてセックスしてズブズブになるだけじゃんね。この30分キツすぎんだろ…
でも、二人の出会いのシーンの同人誌即売会にタクミを連れてきたヨシカワくんの”女オタクに話しかけるときにちょっと上から話しかけつつも女慣れしてないから声が上ずる”演技が素晴らしかった。
第2部:第1部で描かれた部分のサトミ視点
タクミ視点から一方的に頭と股の緩いオタク人妻のように描かれていたサトミだが、彼女の視点から見るとしっかりと裏があったことがわかる。
夫との間に子供がなかなかできず、不妊治療に踏み切るもなかなか実らない。夫はあまりそのことに関心がないのに、姑には子供ができないことをいびられ続け、精神的苦境に立つこととなる。
短大時代にいじめられていたようであり友達も少なく、また実母を亡くしているため相談できる、心の拠り所とできる人がいないため日々苦しさが増していく。
その最中、同人誌即売会でタイミングよくなのか悪くなのかわからないが、昔からの推しキャラに似たタクミと出会ってしまう。
・そういう暗い過去や、辛い現実からの逃避のためのコスプレ等の同人活動
・もうちょい恋に恋するようなバカっぽさがあるような感じだと良かったかもと思った。
第3部:タクミの幼馴染の団地暮らしの苦学生のフクダくん視点から描かれる1、2部の後の出来事
ここのパートだけで映画として成立しうるほど素晴らしい出来だったと思う。
まず、このフクダのとてつもない苦学生っぷりが描かれる。早朝から新聞配達、そのまま登校し、授業中は睡眠時間に充て、放課後は夜遅くまでコンビニのアルバイト。団地で祖母と二人暮らしであり、その祖母も認知症を患っており、度々問題行動を起こす。
一応母親がいるのだが、他に男を作っており、そこに転がり込んでおり、借金まみれ。フクダくんと暮らす祖母も元夫の母であるから自分とは無関係であるとして介護を放棄している。
見ての通り“人生ハードモード”であり、
・フクダくん自身の人柄の良さ。
おそらく育児放棄してたであろう母親の代わりに面倒を見てくれた祖母への恩を感じており、祖母を放っておけない。
67円しかないのに万引きもせずちゃんとお金を払ってチロルチョコ三つ買って飢えを凌ぐ様。(弁当の誘惑に耐えつつ)
・せっかく生活をやりくりするために頑張っていたアルバイトのお金の入った通帳が母に取られるが、怒るかでもなく諦めたような顔で母の家の前に行き、実の息子に対しても居留守を使う親に「なんで産んだのか」という思いを吐露
・バイト先の病院の息子、高級マンション暮らしの大学生タカオカから「そのままでいいのか?」と勉強面で手厚いサポートしてくれる。
・てんちょの財布を見てしまい、つい魔が差した瞬間を店長に見られてバイトを逃げ出すその時に祖母が団地を水浸しに。そんな絶望の淵に差し伸べられる二つの救いの手。一つはタクミの母からの弁当。貪るように食うシーンが印象。特にフクダだけでなく、同じ団地暮らしのアクツも一緒にという点。
もう一つはタカオカからの救いの手。祖母の入院を勧め、自分の家の病院に都合をつけてもらう。
だが、後者のいいことというのはタカオカ自身の罪の意識の捌け口であった、という哀しい突き放され方をする。
だが、タカオカが授けてくれた知識や考え、そしてタカオカが随所に見せる優しさ(救いの手もそうだし、万引き少年らへの対応もだし)は本物だと信じ、団地の少女に救いの手を自ら伸ばすその時にタカオカに思いを馳せ、タカオカが救われるように“供える”ようにした祈るこのパートの最後。最高。
・生まれながらの苦境、それが故に自らに降り掛かる不条理の跳ね返し方。当初はネガティブにタクミを自分より下にすることで晴らそうとする。(ここのシーンをより綺麗に描くことで、こういうことでしか救われない悲しみがより一層際立っている)だが、塞ぎ込んでいるタクミを目の当たりにし、またクラスでバカにする陽キャへの抑えられない怒り。自己矛盾を振り払うように「自分だけ不幸なフリしてんじゃねぇよ」とタクミに冷たく言い放つことでそこから這い出るポジティブに変えていくのがいい
第4部:タクミの母視点での仕事観と祈り
タクミの母親の視点で、仕事を通しての辛さや悩みや祈り、タクミが立ち直っていく姿が描かれている。
自然分娩の”自然”とはどういうことなのか。出産だけが母親の資質を決めるものではないということ。そしてここで一番大きく描かれるのが「出産後すぐに死ぬ子らの、その短い生には意味があるのか納得できるように教えてほしい」という切実な思いだ。
第1部でタクミの母親はタクミの視点から助産師をしつつもどこかビジネスライクであり、腹黒く、仕事への信念のようなものがないように描かれていたが、その奥にはその仕事に真摯に向き合ったが故の悩み、苦しみ、辛さがあることがわかった。しかしそれは自分自身ではどうしようもない、抗うことのできない問題であるため、自分の中で折り合いをつけるべく諦めつつ祈るしかない、という不甲斐なさ、無力感からくるものであった。
かと言ってそこから逃げるのではなく、真剣に向き合い、そのことを忘れないために唯一できる行為である“祈り”を捧げるのであった。
このパートでの一番印象的なセリフである、自らの過ちと向き合い少しずつ立ち直っていくタクミと偶然夜の神社で「生きて、そこにいて」という台詞だ。
第5部:エピローグ
・タクミの再登校。クラスでバカにされるも、怒れず、かといって逃げ出しもせず、情けない笑顔で誤魔化す。だが確かに成長している姿。
・勉強に励むフクダ
テロップで入る「僕たちは 僕たちの人生を 本当に自分で選んだか」
・新たに人生を歩むことを決意するサトミ(このシーンのフォーカスの使い方好き)
・元担任の女の出産とそれに立ち会うタクミの最後の一言「厄介なもんつけて生まれてきたなー」その表情。
1〜4部を通して性と生が主として描かれる
進むにつれて問題の階層が深くなっていく
1部は完全に自己責任
2部は自分で選んだことである以上は責任を取らざるを得ないが、やむを得ない裏があること
3部は生まれながらにして選べなかった環境から生じる不条理
4部は生まれる瞬間やその前後に存在する生と死
1〜3部での問題はどうにか足掻ける。だが4部の生死に関わる問題は手を尽くしてもどうしようも無い。
だからこそ生きている以上は「生きて、そこにい」なくてはならない。
このような構造がエピローグのテロップ「僕たちは 僕たちの人生を 本当に自分で選んだか」という言葉を通して浮かび上がってくる。
精神的な苦しみや痛みは休んだり、逃げたり、間違えたりと遠回りしながらも生きて立ち向かっていくことでしか解決されない。死んだ人を救うことは誰もできない。
「自分だけ不幸なフリしてんじゃねぇよ」というフクダのように冷淡に言い放つ映画。
精神的な苦しみや辛さは他人との間で相対化されるべきものではなく、それぞれの個々人の中の絶対的なものである。だから「お前よりも俺が不幸」ではなく、「お前だけが不幸なフリをしてるんじゃない」のである。また、だからこそ他人からの助力はあっても最後に解決しないといけないのは、それに立ち向かわないといけないのは自分自身しかいない。
「天は自らを助くるものを助く」と言うが、天も神も何もしてくれない。ただ、救われる人というのは救われたいと願った人だけなのだ。自ら破滅を願う者には救いは訪れない。
辛いこと、苦しいこと、悲しいことが起きた時、それを解決するだけの力がなく不甲斐なさを覚えたとしても、そこで絶望し破滅の道を選ぶのではなく、空を見てただひたすら救いを求めて祈り、前を向き、ゆっくりでもいいからそのことに向き合っていかねばならない。
イワシの美味しい食べ方 2選
最近週に一回は映画を鑑賞しては感想を書いているのだが、箇条書きにして書きたいことを並べると、それだけで2000字から3000字くらいになってしまい、さらにそれを清書するとなると面倒が過ぎてやる気が起きなくなっている(頑張って書きます)。
だが、料理のレシピの記事は手順の説明と感想とを書くだけなのでそんなに気負わず、さっと書くことができて楽だ。
近所のスーパーで新鮮なイワシが4匹で300円と、まぁ悪くない値段で売っており、これからイワシが美味しい季節になるのでイワシ料理に慣れようと思い、ここ数日のうちに二度も購入し、イワシ料理に挑戦した。
共通:イワシの処理の仕方
頭を切り落とし、肛門から包丁をいれてお腹を割き、内臓を掻き出して軽く洗う。
(真水で洗いすぎると身がブヨブヨになり美味しくなくなるのでなるだけ真水で洗うときはさっと急いでやること)
肝や卵が綺麗ならこのときにサルベージしてとっておくこと。傷つけないように指で掻き出すのがおすすめ。
イワシ自体大きい魚ではなく痛みやすいため、三枚に下ろすのが割と難しいので手開きをお勧めする。(見栄え重視で刺身にするとなると三枚下ろしが最適だと思うが、家で食べる分のオナニーなので手開きで十分)
手開きのコツとしては肛門から尻尾に向けて一回包丁を入れて肛門のやや尻尾寄りのところに少し出っ張った背骨を手掛かりにして骨を身からはがすといい感じに骨が取れる。
骨を取ったら腹骨をすいて可食部だけにする。
(落とした頭とすいた腹骨についた腹身の部分を塩振ってから出汁とってみそ汁にしても美味しい)
ここで血合いなどの汚れが目立つ場合は氷水に塩を溶かしたもので洗ってあげるといい。
これで下処理は完了!料理に移っていく。
下処理を終えたイワシの皮をはぐ。
包丁とか使わずに簡単にキッチンペーパーで皮の取っ掛かりをみつけたらそこからビーッと綺麗に剝ける。
皮をはいだ身を一口サイズにぶつ切りにしてほんの少し塩を振ってキッチンペーパーに包んで冷蔵庫に入れる。
大葉を刻み、梅干しを種と梅肉とに分けて、生姜を下ろして醤油、みりん、酢と一緒に混ぜる(酸味は梅が出してくれるから酢は少な目でいいし、みりんも多すぎると変に甘くなるから注意。味見しながら調整してね)。
冷蔵庫でしっかり冷えた身を先ほど作ったものに入れて胡麻を入れてしっかり和えたら完成。
このままおつまみとしても美味しいし、酢飯との相性ピッタリだったので酢飯に乗せて食べるもよし。冷や汁っぽくそこに出汁をかけて食べてもまた美味しいだろう。
二品目:イワシの酢〆炙りと肝ソース
下処理を終えたイワシの身に少し強めに塩を振ってキッチンペーパーに包んで冷蔵庫に入れる。
塩をしておく間にさっと漬ける酢の液とソースを作る。
漬ける液:
酢に醤油、みりん、白だしを加える。酢がメインではあるが、塩気のために醤油、ほんのり甘みをつけるためにみりんを入れ、風味程度の白だしなので、酢>>>醤油>みりん>>白だしくらいで丁度良いと思う。
ソース:
肝が新鮮でおいしそうだったが、青魚だしそのまま肝醤油にするの怖いので火にかけてソースにすることにした。
まず、肝をオリーブオイルで潰しながら炒めて火が通ったら醤油、おろした生姜とニンニクを入れて弱火で煮詰める。
味を少し見て、生姜の辛さが丸くなってきたら火から上げて冷やす。
ワタ醤油ということでワタ全部を炒めてから醤油とかで煮詰めて作るものもあるが、単純な旨味だけ欲しかったのと他の部位を使うのが若干怖かったから肝だけにした。やりたい人はワタ全部使ってやってもいいと思う。
ここらで塩して30分くらい経つので、冷蔵庫から身を出して氷水に塩を入れたものでその身を少ししっかりめに洗って塩を抜く(真水でやってる記事やレシピもまぁまぁ見かけたけどやはり身がブヨブヨになるのが怖かったから迎え塩をした)。
やりすぎは身が割れることがあるから、適度にする。
しっかりキッチンペーパーで水気切ってから先ほど作った液に漬ける。
1時間くらい漬けたところで取り出して、皮をむいて(酢で〆たあとなので生のときより簡単に皮がむける)、キッチンペーパーに乗せて少しだけ液をかけてから冷蔵庫に入れて食前に取り出す。
食べる直前に冷蔵庫から取り出してバーナーで炙る。
脂がすごいのでボワっと炎が上がるが、恐れずに香ばしい匂いがするまで炙る。
炙る程度は人それぞれ好みがあるのでその辺のやりこみ要素は各自で行ってほしい。
そのまま食べてもさっぱりして香ばしくて美味しいが、ソースをかけて食べると肝のコクが出てまた一味違った美味しさがあった。
日本酒や焼酎、ビールだけでなく、ワインなどの洋酒にも合う味わいでオールマイティなおつまみだと思う。
手間はちょっとかかるし、手が生臭くなるしで怠いことは多いが、それだけの価値があると思う。
夏に向けてもっとイワシ料理を極めていきたいので、おすすめレシピ等教えていただけると嬉しい。
エロゲ「ものべの」 すみルート 感想
先々月の末くらいからエロゲのサブスクリプションのサービスである「Ooparts」(
https://oo.parts/)に課金し始めた。今なら月額1,000円で数々のタイトルがブラウザー上でプレイできる。
このブラウザー上というのがこのサービスのウリの一つで、アカウントにログインさえすればPCだけではなく携帯電話のブラウザーからでもプレイすることが可能なのだ。
アリスソフトのゲームやONE~輝く季節~など、数本すでにやり終えちょっと満足してもう解約してもいいかなと思っていたところ、ふと目に入ったタイトルがあった。
それが「ものべの」だった。
前からタイトルは何となく知ってはいたし、「まいてつ」で有名なLoseの作品だし、絵が綺麗だし女の子かわいいし、、まぁ惹かれる要素がたくさんあった。
まぁ、正直な所エロシーン回収くらいできれば満足で、別にそんなシナリオに期待はしていなかった。
特に何かしらのゲーム性があるわけでもなく、選択肢もルート分岐の一か所だけで、ひたすら読み進めていくだけのゲームで一見すると退屈極まりないのだが、シナリオと美麗なグラフィック、可愛らしいキャラクター達、比較的快適なUIでそれらを補っている。
共通ルートの粗筋は
医大生の主人公「沢井透」とその妹「沢井夏葉」は人間と妖怪とが共存する山奥の集落、茂伸(ものべの)で生まれ育ったが、透の大学進学とともに生まれ故郷を発ち、犀玉(さいたま)で暮らしていた。
妹の夏葉が帰省を嫌がっていることで6年間も帰省できていなかったのだが、どういう訳かその夏は嫌がらずに帰省することができた。
幼馴染である隣人の「有島ありす」と家守妖怪の「赤赤熊のすみ」、昔から面倒みてくれた「大傘妖の飛車角」らと楽しく茂伸での生活を送っていたが、夏祭りに神事の舞を見て妹の夏葉の身体に異変が起きる。急成長をしては元の姿に戻るのを繰り返す身体になっていた。
急速な老化と若返りを繰り返して、自己認識のブレなどにより心身ともに不安定になっていく妹の夏葉を救うべく主人公は奔走する……
ゲームの構成として、メインヒロインは「赤赤熊のすみ」、「有島ありす」、「沢井夏葉」の3人で、すみのルートは妖怪やその集落を統べる巫女らと超自然的な力を以って、その集落の人らと協力してその病気の完治を目指す、という流れで、ありすのルートは集落で唯一の医者
であるありすの父親と医学的なアプローチから完治を目指す流れで、物語全体のトゥルーエンドにあたるのが夏葉のルートである。
夏葉のルートはまだ途中だが、すみのルートは終わったのでその感想を書いていきたいと思う。ネタバレしかない。
ある大きなテーマで構成されていた。「大人になるとはどういうことか」というものだ。
(ありすルートも半分以上やったのだが、キャラの性質上、物語の設定上すみや夏葉ルートに比べて目劣りしてしまうのは已む無し…)
精神的にはそこそこ成熟しているが肉体的には成長することのない「すみ」と、精神的には未熟だが肉体が急速に成長していってしまう「夏葉」との間での対比の構造が綺麗にしっかりと描かれており、それが大きな軸となって話が纏まっている。
その中で「大人になる」というのは単に肉体的に成長することではなく、かといって物分かりがよくなったり知識を詰め込んだりするような”頭でっかち”なものではなく、真の意味での精神的成長だ。
では、その真の意味での精神的成長に必要なものは何だろうか。
その答えは明確で「経験」である。(勿論、その経験からあらゆる教訓を自らのものとすることができるだけの知識などは多少は必要となるが)
この作品内で描かれる「経験」というのは主に「夏葉の身体の異変の解決に向けての奔走」と「すみとの結婚および出産、子育て」の2つだ。
大人は見た目ではなく、その人の経験等が精神の成長を促した先にある成熟した状態であり
前者の経験を経て、共依存の先には破滅しかなく、お互いが“自立”することで初めて本当に寄り添い合えるのだ、と言うことに気づく。(金八先生のかの有名な「人という字は〜」ということへのアンチテーゼ)
そうやって一段階大人になった彼らは結婚をして出産、育児をしていく。(ここからが追加シナリオ)
実際に母親になったすみは見た目こそ変わらないものの確実に“大人”になり成長を遂げたことが実際にプレイしているとその眼差しやセリフの端々に感じることができる。
誰かと結ばれ、子をなす事というのは否応なしに大人になることを求められる。妊娠、出産、育児というのはどうしてもその地域なり相手の家族なりに協力を申し出なくてはいけない。
後腐れなく他人に協力を頼む、という行為は簡単なようで実に難しい。自らが怠惰であれば他人を不快にさせるだけだし、かといって全て背負いこむと破滅に繋がる。“自立”をする、もしくはその裏でしっかりその責任を果たす覚悟がある、それらを周囲に認めてもらう。そのプロセスを経て初めて成し得ることだ。
結婚して、子供をもうけ、育てていく。そうやって古来より人間は自分がコミュニティの一員である事を意識し、そのコミュニティを守る事で自らの子を守る、ということを脈々と受け継いできたのだろうと思う。(それがいまだに色濃く受け継がれている田舎では特有の相互監視のような息苦しさがあり、そのような共生というのはこのようなデメリットも生んでしまうが)
サブカルに浸かった人同士の会話ではしばしばマイルドヤンキーのことを腐すことがあるが、自分にはできないその生き方を貫き、納得している彼ら彼女らの方がよっぽど“大人”であり、自らの方が達観した価値観持った“大人”であると自負して彼らを馬鹿にする自分達の方がよっぽど子供であることを自覚した上で一定のリスペクトを抱えつつ彼らへの羨望、嫉妬を吐き出さなくてはいけない、と強く思った。
一応、現段階でありすルートの追加シナリオまでやり切ったが、正直すみルートのスケールの大きさや胸熱な展開に比べたらどうしても劣っており、ご都合主義があまりにも目立つと言わざるを得ない出来ではあったが、最後の最後の「黄色いチューリップの花言葉、叶わぬ恋」それが二重に意味を持つ所と、そこに夏葉の目覚めの理由を持ってくる所、更に「ご開祖ちゃん」というそのシナリオだけにでてくる神様的キャラが人の心を映し出す鏡であることがヒロインの「ありす」の名前ともまたリンクするのがよく出来てるなぁ〜と言わざるを得なかったが、些か説明過多であり、そのせいで少し醒めてしまうのが残念でならなかった。
5月10日までワンコインの500円で全部入ったセットを購入することができる。
余裕があれば是非!(oopartsでもプレイできるが、私は買ってしまった…)
ちなみに、ちなみにだが、全く実のない情報だが、最後まで読んでいただいたお礼を強いてするのであれば、「このゲーム、メインのシナリオとはまた別個にさらにエロシーンが大量にあって、登場する人型のものとならほぼ全員との絡みがあるので、どんな性癖の人でも大体カバーできるし、プレイも多岐にわたるので最高である」ということくらいしかない。。。これくらいのことしか御礼できないのが申し訳ない。
蛇足だが、私は「集落の端っこにあるデカい滝を守る蜘蛛の妖怪である滝女郎が人の姿になった状態で主人公を逆レイプする」サブのエロシーンが相当お好み焼きだった。ロリコンじゃないので。(本当はその滝女郎が作ったロリ人形2人と3Pするシーンでいつもは大人しい方にイジメられるとこが最高でした。すいません。)
400円のキンメダイ
最近、朝から散歩して近所のスーパー等で材料を買って朝ごはんをしっかり作る、ということにハマっている。
というのも、「いつかティファニーで朝食を」という漫画を読んでからというものの、漫画自体の内容はそんなにグッとくるものではなかったのだが、朝ごはんをしっかりちゃんとしたものを食べる、ということがもたらす”心のゆとり”や”人生の豊かさ”は素晴らしい、ということに関しては首肯せざるを得ないと思った。
まぁ、漫画のように朝からちょっと豪華な外食をする、というのは今のご時世や学生という身分上中々しにくい。
というわけで自分でしっかり作るようにしている。(となると必然的に朝食前にウォーキングをすることになるので体重も減るのだ)
最近は旬のキビナゴ料理に凝っており、キビナゴを手開きしてそのまま刺身で食べたり、ユッケ丼にしたりと色々試しており、とても楽しい。(しかも安価!)
手開きばかりで三枚におろすのを最近やっていなかったのと、いい感じのキンメダイが400円ほどで売っていたため、捌きたさと食べたさで購入を即決した。
キンメといえば煮つけがやはり一番先に頭に浮かんだが、せっかく刺身用なので刺身もいいし、なんなら先日買ったバーナーで炙り刺身にしても美味しそうだと思い、身は炙り刺し、頭とかすいた腹骨と腹身や背骨は煮つけにしていただくことにした。
まずは鱗を落として、三枚におろす。
煮つけにする部分は塩を振って臭みとりをする(刺身用だし、鮮度よかったので霜降りとかまでしなくてもいいかなという判断)。
身の部分は煮つけを作る間冷蔵庫で冷やしておいて、煮つけ作りに取り掛かる。
まずは煮汁だ。
先日からやっているエロゲの「ものべの」で主人公の家の””秘伝””の煮つけのレシピが作中で軽く触れられており、そのレシピが気になったので参考にした。
まずは、お酒、みりん、しょうゆ、砂糖、生姜を入れて煮立たせる。
隠し味として煮つけにすりおろしたまねぎを入れる、というのは初めて聞いた。
辛くなりすぎないか不安だったが、新玉ねぎならそんなに辛くないし、小玉半分なら多少失敗しても大丈夫だろうということで入れてみた。
味をみつつ、砂糖を少し加えて、またひと煮立ちさせてから魚を入れて落し蓋をする。
このサイズのフライパンで煮つけするには頭は割らないといけなかったのだろうが、面倒だったので途中で返すことにした。(その分味の染みは悪くなるが)
煮つけている間、炙り刺身作りに取り掛かった。
身に少し塩を振り、皮目をバーナーで炙る。
炙り初体験で結構緊張した。
どの程度炙ればいいのかわからず、また、魚の脂に引火してドッと火が上がるのでちょこちょこ炙ってはいったん消して様子見てを繰り返してみた。
煮つけも程よく出来上がり、ご飯をよそい、みそ汁をついだら立派な朝食の完成だ。
いざ実食。
炙り刺身:生姜醤油で食べた。程よく香ばしく、皮目の食感も味わえて美味しくはあったが、冷やす時間が欲しかった。炙りの後しっかり冷蔵庫にいれるか、氷水でしっかり冷やせばよかった。これは要反省だ。次回以降に活かしていきたい。
煮つけ:しっかり味が染みており、物凄く美味しくできた。特に隠し味のすりおろし玉ねぎの甘みがよく利いていた。今後煮つけ作る際は絶対に入れたいと思う。
捌く時間等含めて1時間足らずで2品できる。たまの休日くらい朝の1時間をこのような時間に充ててみてもいいのではないだろうか。
「優しい気持ちで目覚めた朝は 大人になっても奇跡は起こるよ」なのだ。
カーテンを開いて、朝の穏やかな日差しのやさしさに包まれながら散歩して、美味しい朝食をとったその日は不思議に夢を叶えてくれるような神様の微笑みを感じられる気がする。
映画「息もできない」 感想
最近、アニメや漫画にズブズブにハマってしまい(毎年春になるとものすごくアニメ漫画欲が高まるのは自分だけだろうか)、久しく映画を観ていなかった。最後に映画を観たのは「若おかみは小学生」の劇場版を2月ごろに友人とAmazonのウォッチパーティーで鑑賞した以来だった。
3月も終わり、観ていたアニメ(ウマ娘プリティダービー2期など)もちょうど終わり、心機一転久しぶりに映画を観たくなって近所のゲオに散歩帰りにフラッと寄った。
昨今ネットで殆どの映画がインターネットを介して観ることができるが、特定の明確な観たい映画が特になく、「とにかく何か気になるものが見たいなぁ」という気持ちを満たすためには、ゲオやツタヤをぶらつきつつジャケットや裏表紙のあらすじや惹句を見てお金を払って返却期限に迫られながら見るのが一番であると思う。
そういう形でゲオでふと目に飛び込んできた映画が「息もできない(原題:똥파리、英題:Breathless)」だった。
以前RHYMESTERの宇多丸の「シネマハスラー」で取り上げられて絶賛されており、その存在は知っていた。兼ねてより観たいとは思っていたのだが中々観る機会がなかったからちょうどいいということでレンタルしてみた。
あらすじ
チンピラ稼業をやっている主人公キム・サンフンがひょんなことから女子高生のハン・ヨニと出会う。喧嘩から始まった関係ではあるが、お互い似た者同士であることを仄かに感じ合い、様々な事で傷つくたびに慰め、支え合う仲になるが………
まず、監督も務めているヤン・イクチュン扮する主人公のキム・サンフンだが、「syamu_game!?」ってくらい純粋な目をしている。まさに“こどもおじさん”だ。
実際の役柄としても純粋で子供のまま歳をとったような人間性であり、その顔から惹かれた。
また、主人公のサンフンは終始「씨발(シバル)」、「씨발라마(シバラマ)」を多用していた。意味としては「Fuck」や「Fuck you」といった罵倒文句だ。
そのサンフンの言葉遣いや顔、終始一貫した小さくはビンタに始まり大きくは血みどろの殴り合いになる“暴力”。一見粗暴だがその根底に流れる優しさ。しかし、それを素直に表現できないささくれ立った心の表層と、伝えるだけの言葉を知らない無知さ。無知が故に生まれる罵倒文句を口にする事一つを取ってもその感情の幅の広さ。それを十全に表現しきる監督兼主演のヤン・イクチュンの素晴らしさ。
主人公1人取ってもこれだけでは褒め足りないくらい凄まじいものがあった。
また、サンフンとヨニの関係性も良い。
恋仲になることはないが、単なる友達より心の深いところで結びつきあっている。よく陳腐な表現として「友達以上、恋人未満」とは言われるがそれとも少し違う、言わば熟年夫婦のような関係だ。恋愛関係や肉体関係を軽んじるわけではないが、そのようなわかりやすい関係性に落とし込まずにしっかりとその複雑な付かず離れずの関係性を維持し、それを表現しきる2人。最高だった。2人でいるシーンの表情だけでも一見の価値あるポイントだ。
この映画を彩る俳優陣の顔が仕上がってるのもまたいい。チンピラの下っ端であるファンギュの間抜けな中にもどこかしたたかな部分が見え隠れする顔、ヨニの弟のヨンジェのキレる10代代表のような顔など。これらなくしてこの映画は成立しえない、といえるだけの説得力のある素晴らしい顔をしていた。
以下、内容に触れつつの感想のため、ネタバレ注意。
この映画通して、終始一貫した男から女への家庭内の暴力が描かれる。そして生まれる悲しい暴力の連鎖。主人公のサンフン然り、ヨニの弟のヨンジェ然り。
だが、サンフンの甥である幼いヒョンインだけがその負の連鎖を断ち切る心の強さと優しさを持っていた。
その優しさや強さに触れることでサンフンがよりヒョンインを愛しく、そして彼を守らねばという強い意志の芽生えを感じることで生じる感動があった。
また、腕っ節や口といった他人に見え易い部分で強い人間が実は脆くて弱く、またサンフンの幼かった妹や甥のヒョンインといった弱い人間がいざという時に見せる勇敢さや優しさ。それによって良くも悪くも周囲の意識や環境が変わっていく。それを目の当たりにすることで心を動かされる。
“普通”の両親が一切出てこない。出てくる家庭には何かしらの暴力があり、そのため食卓を囲む幸せな場面が殆どない。幸せな食事シーンは常に「家族以外の人間と」「外で」のシーンしかない。しかし、一ヶ所だけ家の中で食卓を囲むであろうシーンがあった。ヒョンインとヨニとサンフンとサンフンの姉のシーンだ。ところが意図的かわからないが、その食事シーンはなかった。ここはあえてカットしたのかな?
序盤の借金の取り立てをする場面でDV夫がいる家庭で「人を殴る野郎は自分は殴られないと思ってる。でも痛い目に遭う日が来る。そのサイテーの日が今日で殴るのもサイテーの奴だ」といいながら殴りつけるシーン。殴るお前が言うか?と思いつつもこれを身をもって知ってるのがサンフン自身であり、これがラスト付近の伏線にもなっているのがよかった。サンフンが痛い目に遭うまさにその日、その一発目が当たった瞬間から訪れるその先の不穏な空気を演出するいい伏線だと思った。
終始サンフンは純粋ではあるが素直ではない。素直になるシーンが大きく二か所。大きな声で笑うシーンと泣くシーン。どちらもヨニの前
父親や姉の前では中々素直になれない。
父親に対しては妹を殺し、そのせいで母親も死なせてしまった憎しみが先立ち、殺意や怒りが表には出てしまうが、服役して出所した父が姉やヒョンインと仲睦まじくゲームをしている様子や張り合いのない父親の弱り切った姿に対しての複雑な感情があるように思う。
この映画の中でも印象的なチャプターの一つである、父親が手首を切り自殺を図ったシーン。殺意に満ち満ちた状態で父親の家に押し入るサンフンが家のドアを開けた瞬間に酒瓶と猪口、そして父が倒れているその傍に死んだ筈のサンフンの母と妹とがなんとも言えない表情で佇んでいる。このワンシーンだけで父親が酒で潰れて寝てるのではなく確実に死に向かっていることがわかり、また出所後孫のヒョンインや娘と幸福な時間を過ごせているのに、やはり自ら手をかけてしまった娘やそのせいで死んだ妻への罪の意識というのは15年の服役では拭えず(社会的に罪の償いは済んでいるのに)一生付き纏っており、それに耐えられず自殺を図ったというのを簡潔に明確に表現することでより印象に強く残った。
サンフンの尽力の甲斐あって父親の自殺は未遂に終わったが、その父を背負って病院に行く間「どんなに死にたくても生きろ 今死んだら俺は…俺は… 生きやがれ 死ぬな」と叫ぶ姿は、父親が未だにその罪の意識に囚われていることに気づかなかった己の浅はかさを悔やむと同時に、憎しみの対象であるが父親を亡ってしまうとサンフンの目に物言わせてやるという生きる糧がなくなりどう生きていけばいいのかわからなくなる不安、そしてヒョンインにとっては前科者とはいえ掛け替えの無いたった1人の優しい祖父であるという事実、これらの複雑な感情が入り乱れた魂の叫びであったように思う。
ラストの時系列をあえて崩し、サンフンの死亡をみんなが知り悲しむシーンを、残された人たちで楽しく過ごすシーンに挟むことで、落とし所になりがちなサンフンの死を落とし所にせず、ラストの衝撃的な展開をより一層印象的なものにしているのが素晴らしかった。
その、ラストの衝撃的な展開だが、途中の示唆も考えるとサンフンが実際にヨニの母親の屋台の撤去に携わったと取るのが自然だが、兄の姿がサンフンとかぶって見えただけという捉え方もできなくはない。そう捉えるとまたオチの意味が変わってくるような気もする。
また、その最後のヨニの表情がなんとも言えない。サンフンからヨンジェに継がれてしまった暴力の連鎖を目の当たりにし、サンフンと同じような悲劇の運命に今から陥っていくであろう弟を悲しみつつ、また母親の仇の姿と重なり憎しみに駆られつつ、そのような道に弟が堕ちていく姿に無力感を抱きつつ、そしてサンフンとの悲劇的な数奇な運命の下にあったという衝撃の事実を思い出したその正に「息もできな」くなるような、そんな様々な感情が入り混じった顔に強く胸を打たれた。
これだけ書いてもまだ書き足りないと思わせるくらい素晴らしい映画だった。久々のいい映画体験ができた。韓国映画は「オールドボーイ」や「パラサイト」くらいしかまだ見たことがないから今後どんどん開拓していきたい。
宇多丸のラジオの評とこちらの対談の書き起こしを鑑賞後に参照したため、一部影響を受けたところもあるかな?
書き起こし(1):『息もできない』ヤン・イクチュン監督×ライムスター宇多丸 緊急スペシャル対談: ラジオ批評ブログ――僕のラジオに手を出すな!
鶏胸肉の中華スープ
最近、アニメ見るか散歩するか料理するかくらいしかすることがないので、料理をして時間を潰すことが多い。
特にここ2週間くらいドはまりして作っている料理が今回紹介するものだ。
このスープとローストビーフを極めるそんな春休みにしている。
調理工程を紹介したい。
- 鶏胸肉を一口サイズに切り、塩を少し振ってから鍋で煮る。
この時、灰汁をしっかりとる。旨味もあるから~とかいうのは知らん。ある程度旨味逃げても臭みが完全にとれるほうがいいと思う。スープ料理だし。 - 大根、ネギ、人参、椎茸、などを入れて中華だしの素を入れて煮る。
顆粒だしとか塩、胡椒を入れて味見をしながら味を調える。 - 食べる30分前くらいに木耳、お湯で戻した春雨、すりおろした生姜、胡麻、うずらの卵をいれる。
ごま油を垂らして香りをつけてもいい。
食べる際にラー油垂らして辛さを足しても美味しい。
今回ははしゃいで色々とふんだんに。具を入れたが、鶏胸肉とキャベツと大根だけでも美味しいと思う。春大根や春キャベツを美味しく食べられる上に安上がりでヘルシーな今の時期にぴったりなスープだと思う。ぜひお試しあれ。
9月29日 札幌への帰路
この日は朝7時くらいに自然と目が覚め、ホテルの大浴場で朝から一息つき、心を整えて網走から札幌までのロングランに備えた。
8時ごろ網走のホテルを出発した。18時に札幌のレンタカー屋に返却予定で、網走ー札幌間は行きと同じなら6時間で着くため、4時間の猶予があるということで中間地点である旭川でお昼を食べ、少し観光することにした。
高速では少し友人に運転を代わってもらいつつ、途中でしっかり休憩をとりつつでのらりくらりとしていたが、12時半ごろには旭川に到着することができた。
友人の調べによると、旭川の「旭川らぅめん 青葉」というところの正油バターラーメンが北海道で一番美味しいらしい、とのことでそこに向かった。
中に入ると中曽根元首相がそこのラーメンを食べている写真や多くの著名人のサインが飾ってあった。
九州育ちということもあって、正直ラーメンは豚骨が一強とばかり思っており、次点で味噌、塩も悪くないかな、くらいで醤油ラーメンがラーメンカースト最下層だと思っていた。ところが、このラーメンは自分が食べたラーメンの中で一番美味しかった。
勿論、旅行補正や長旅の疲労補正があるとは思う。だが、バターを溶かす前の醤油スープの控えめでもなければ強すぎもしない、程よい味わいの中にあるしっかりとした出汁の旨味、次第にバターが溶けていくほど深くなるコク。お腹いっぱいになっても後を引く味で、スープを掬うレンゲの手を止めることができなかった。
腹も満たされたところで、旭川といえば「旭山動物園」でしょう、ということで向かった。旭川市街からそんなに遠くなく、スッと向かうことができた。
コロナ禍でかつ平日ということもあり、園内はとても人が少なかった。どの動物の前でも混雑することなくゆっくり、じっくりと見ることができた。
↑ やらしい手つきのクモザル
↑ イヌにか見えないくらい穏やかな白い狼
↑ 溶けているマヌルネコ
↑ アピールはするものの全く水中に入らないホッキョクグマ
↑ トラの兄弟がめちゃくちゃじゃれあっていた。めちゃくちゃ可愛らしくてずっと見てた
↑ 不動のライオン
↑ あまりにも足が棒のようになって疲れ切ったため、ソフトクリーム休憩
↑ 見下してくるレッサーパンダ、腕組みキツネに通ずるものある
↑ 背泳ぎしかしないアザラシ
↑ 近くで見たら割とキモイ顔してるキリン
そんなこんなで丁度いい時間になったので動物園を後にして、札幌に向かった。
友人も私も毎日それなりには寝ていたから大丈夫だろう、と思っていたが相当疲労が蓄積していたみたいで、限界が近かった。
最後の気力を振り絞り、どうにか札幌まで辿り着くことができた。
この旅で何度か駐車することがあったが、どれもダイナミックに突っ込むだけでよく、スペースも広かったため、発進時に困ることはなかった。ところが、レンタカー屋に返却する際の駐車では、バキバキの普通の駐車場で何度も前後に動いては同じことを繰り返す感じで泣きそうになったが、レンタカー屋の人が見かねて一発で駐車してくれ、事なきを得た。
ホテルはススキノの辺りであり、少し距離があったのでタクシーで向かった。
チェックインして部屋に入ったのだが、めちゃくちゃえっちい雰囲気だった。
この時点でまだ18時半くらいであったため、時間にも余裕あるし小樽で夕食を食べることにした。
店は普通の居酒屋ではあったものの、どのメニューもとても美味しく、特にラム肩ロースが最高だった。
夕食を済ませ、ほろ酔いの状態で小樽の運河に向かった。
綺麗ではあったものの、コロナのせいで灯が少なく、テレビ等の映像で見るよりも迫力に欠け少し残念であった。コロナが収まり北海道に行く機会があれば再度行ってみたい。
ホテルに戻り、昨日と同じくとても眼が冴えてきたのでススキノの街を徘徊することにした。
グダグダと歩きつつ、もうひと飲みしようかと居酒屋に入ろうとしたが、時間もてっぺんを回っており、風俗以外ほとんど閉まっていた。
やむなしでたまたま見つけた山岡家に入って鬼煮干しラーメンを食べた。
めちゃくちゃゴッテリしていて重かったが美味しかった。
ホテルに戻り晩酌をし、寝床についた。
↑ 雰囲気エロすぎ。「あかん、めっちゃカキたい」の我が田中の気持ちになった。
運転からの解放のせいで心が軽くなり、結局3時ごろまでチビチビ飲んでいた。
次は帰宅編でお会いしましょ。